Little AngelPretty devil
      〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

       “彼者誰時(かはたれどき)
 


薄暗くて物が判然としない、よく見えない時刻のことを、
あの者は誰ぞ?と問う時刻ということで、
昔は“かわたれどき”なんて言い方をしました。
厳密な指定はされていませんが、明け方は“かわたれどき”で、
これが夕刻だと“誰者彼時”。
明け方のと一対にして生まれたとも言われ、
誰ぞ彼はと問うとき ということで“たそがれどき”としたそうで。
今では“黄昏”という表記で書くほうが定番ですね。
ちなみに、
米英語の“トワイライト”も実は同じような意味が発祥で、
大元は“two light”
明と暗という二つの明るさの間という意味だとか。
なので、夕方の黄昏時のことだけじゃなく、
明け方の黎明どきのことへも使うのだそうです。(day break)
何ともロマンチックな響きに聞こえもしますが、
明け方ならば、まだ目が覚め切ってはいないから、
夕方ならば、一日の終わり頃であり、ついつい気が緩んで、
人を見間違えるくらいならともかく、
ひょんな事故さえ起こしやすいことから、
魔が差しやすいぞ、気をつけなと、
そんな呼び方をして特別視したのかもしれません。


  そして、
  これが日之本だと“逢魔ヶ刻”となる。





     ◇◇◇



黎明のほうの“かわたれどき”は、
これもまた東西問わず、何も起きたばかりの身とは限らない。
夜通し遊び歩いて、後朝の別れか何かも済ませた公達の若いのが、
欠伸を咬み殺しつつ帰宅の途にある時刻とも言えて。
そして平安時代は、
男性が女性の元を訪ねる“通い婚”だった時代です。
高貴だったり官位が高かったりするほどに、
それが身分相応とでもいうことか、
所帯を分けても十分やってけるといいたいか、
それとも、子育てと官職への世話とでは、
世間との付き合いようも
仕丁らの仕事もくっきり違うので、混線させないためか、
亭主の屋敷と奥方の屋敷はきっちり別に分かれてたようで。
世界一あなたが好きですと掻き口説いておきながら、
そんなのそのときの方便で。
墜としてしまや もう用はないという罰当たり、
それ以降はナシのつぶてという情の無いお人を、
だっていうのに、ただただ待ってた女性だっているでしょう。
そんな人には無情の夜明け。
最初は一途で純情な想いからのことが、
だんだんと重い怨嗟に育つのは特に不思議じゃあないことで。

 《 ●●の少将の御車ではございませぬか。》

どこか頼りない声で、道端からの声が掛かって、
眠たそうに生あくびをしていた雑仕らが何だ何だと辺りを見回す。
慣れた道であったはずだが、
それにしては、どこで辻を間違えたものか、
ちょっと覚えのない道に入っており。
白々と明けかかる黎明の仄かな明るさの中、
ついと見やれば、白い漆喰塗りの塀を巡らせた屋敷があって。
間口から覗くのは、
腰高に籬(まがき)を巡らせた庭先の、萩だろうか茂みの緑。
その傍へと立っている女性があり、
地味だが手入れは良さげで品のいい着物といい、
裾が地につかぬよう、おはしょりにして腰で縛ってのこと、
足元をすっきりさせているのが、働き者の様を語ってもいる。
こんな頃合いに、
しかも通りすがりの相手へこんなことを訊いてくるとは、
こちらにお住まいの女性の、特に傍仕えの者だろか。
来るとの文が確かにあった殿方を、
待って待ってのこの時刻というので
さすがに案じておいでの主人から“見て来よ”と言われたか、
それとも…。

 「いや、こちらは……。」

お尋ねの君ではありませぬと、
何人かで曳いていた雑丁らの頭なのだろう、
少しほど身なりのこしらえの違う仕丁が、
そちらのお女中へ返答をしかかったのだが、

 《 あれほどの口説を並べ、
  最後は無理から遂げられたというに。》

肩から背中へとすべらかした髪の陰、
うつむき加減のお顔の下から、
陰に籠もった随分と低いお声が紡がれていて。

 《 吾が姫の一途な想いを踏みにじり、
  そこへくわえて、他所での手柄話に紛れさせ、
   他の男を煽り立てたは厄介払いか。》

最初のお声が思い出せぬほどに、
その文言へどんどんと重さと響きを深めてゆく女房様で。

 《 別段 焦がれておいでのお人もおらなんだ姫とはいえ、
  その御身と御心を勝手に蹂躙される謂れはない。
   今時のそれが習いぞと
  お仲間うちで嘯(うそぶ)いておったそうだが、
  それで済むと思うてかっ。》

だんだんと語尾が強まってゆき、
最後には恫喝にも似た勢いの大声で
一喝された格好になった雑仕ら。
そもそも主人がどこで何をしているかなんて知らないし、
ましてや人違いだと言うているのにと、
おどおど浮足立ったのも束の間のこと。
最後の一喝にはとうとう、
わらじや裸足という足元も軽やかに、
わっと散り散りに道の向こうへ逃げてしまった彼らであり。

 《 ………。》

夏の終わりの、いやさ秋の初めのそれだろう、
涼やかな風が時折吹いては、
牛車の前へと掛かった簾をそおと押し揺らす。
無人の車とも思えぬそれだが、
ならば居眠りでもしていてのこと、
主人には外のやり取りは聞こえなかったか。
無言のまんまの乗り物へ、

 《 ………。》

こちらも無言のまま、
されどお顔は上げてのじいと睨み据えておいでのお女中。
しばらくして、

 「すまぬな。●●の少将とやらではないのだ、本当に。」

若い男のそれだろか、そんな声が中から立った。
怯えて逃げ去った連中とのやりとりは聞こえていたらしかったが、
それにしては、若いに似合わず落ち着いた声音だったし、

 「だからこそ戸惑うておったとは、
  人の和子の気心が まだまだたっぷり残っておいでだからだの。」

こちらが問答無用で襲いはしなかったことを差してだろう、
そのような言いようを連ねると同時。
軽いものではないはずの簾がひょいと上がって、
前板へ踏み出した足が見える。
まだ暑い頃合い、
しかも牛車の中だったからとの気の緩みからか素足であり。
色白で小さめの足が、だが、あっと言う間にふっと消え、

 《 …っ!》

はっとした女中が顔を上げ、
眉のない白塗りのお顔で周囲を見回したが、
どちらの路上にも人影はない。
途端に きりりと目許口元を鋭く歪めると、
その場へ居残った牛車を再び睨みつけ、

 《 それで誤魔化せたつもりかえ?》

まだ人の子の気配はするぞと見抜いたか、
そして、そこから動かさぬようにとしたいのか。
睨むことでも強く念じて、じりと一歩を踏み出せば。
怪しいお女中の、
いわば獲物のようでもあったはずの牛車だったものが、

  しゅわしゅわしゅわ、と

その輪郭が端からほどけるかのように。
最初はうっすら、徐々に色濃い煙をたなびかせ始め。
まるで火を放たれたかの如く、
黒い煙幕に包まれたのもほんの一時。
その煙がお女中の方へと吹き寄せてゆき、
何だなんだとたじろぐ彼女を包んだそのまま、
周囲への見通しをすっかり封じてしまう。

 《 な…っ。》

うろたえるお顔からは、
先程まで浮かんでた恐ろしいばかりの険しさも消え、
そうともなれば、
心細いことへと怯えるばかりの様子が哀れなほどだったが、

 「ちぃと悪戯が過ぎたようだの。」

どこからともなく、さっきの若者の声がした。
やはり、微塵にも怯むような気配は含めれぬ、
凛とした自信と威容にあふれた声音であり。

 「この時間帯に近場を通る牛車を
  片っ端から亜空へ引っ張り込んでは、
  恨み言や魔物の幻惑でさんざんに脅して、
  怯え切ったのを適当な河川敷へと放り出す。
  本人でなくともいい、いやさ、本人ではない方がいいという、
  中途半端な構いつけなのは、優しさかそれとも、
  酷いことをして自分を捨てた男の、
  せめて悪い噂を広めたかったからかねぇ。」

来るはずがないからこそ こうなったあんただし、
だから、むしろ首に縄かけてでも来させるのが
一番の供養かとも思ったが。

 「俺は陰陽の術師だからの。
  そこまで情けをかけてやるこたぁあんめぇ。」

社交界の采配振るう、遣り手の世話役でもあんめぇしと。
喉を震わせ、くくっと微笑う。
ああ、まだ若輩のようだから、
情に染みる采配よりも手柄の方が魅力なのだと言いたいか。

 《 ……。》

最後の最後まで、情には縁のなかった身だったな、
そんな想いにつまされたのか、さして抵抗もしないまま、
術式の咒に大人しく縛られてゆく女性の邪妖だったのへ、

 「いいことを一つだけ、手土産に聞かせてやんぜ。」

若い術師の声がそんな付け足しを告げて来て。

  ●●の少将は、ここでの風評が届いたお陰様、
  女にだらしないというのが、
  特に悪評として広められたらしくての。
  逆様 玉の輿だとのぼせておった、
  どこやらの中将の娘さんとの縁談が、
  あっと言う間に破談となったらしい。

 「その中将さんは、
  政治向きにはちょっぴり疎いが、
  社交界じゃあ名を馳せてる古狸の一門の当主でな。
  しかも娘には だだ甘いことでも知られてた。
  それをたばかったという格好になったんで、
  少将さんはこの後も、
  誰からも相手にされないこと請け合いだぞ?」

自分の意識かそれとも咒術がか、
薄れて来たその間合いから、
少しほど間合いを置いた先に立つ、誰かの姿が見て取れた。
白皙痩躯のやはり若いので、
黎明のせいか、それとも煙幕の陰だからか、
髪色も顔もたいそう白っぽく。
にんまりと微笑ったお顔が、少ぉし優しく見えたのは、


   ―― わたしのお人よしさも 極まれり、かなぁ…


  でもね、寂しいとか悲しいとか、
  少しは軽くなった気がしたのよ、うん本当に……。




黎明の中へ、目映いばかりの陽の光が差し込んで。
曇天のようだったのが、
ああ今日も暑くなりそうだなという、
勢いのある明るさに包まれ始める頃合い。

 「どうするね。雑仕連中を呼んでこうか?」

牽いてた牛も幻影だったから、
自分たちでは到底動かせぬ大きな牛車。
いやさ、術を使えば動かぬことは無いながら、
どうやってと
行き合わせた人から不気味がられること請け合いで。
今更風評を気にする蛭魔ではなかったが、

 「いや、構うまいよ。」

どうせ、どっかの放蕩息子の因縁まるけの牛車だ、
問い合わして来たら来たで、
壊されました奪われましたで通しゃいいと。
少しほど高さのある前板のところに腰掛けていたのが、
ぴょいと身軽に飛び降りて来た術師の青年。
結界を外から監視していた黒の侍従さんの、
漆黒の狩衣の懐ろへと収まると、

 「……。」

何か言いたげにちらと見上げたのを急かされたと思うたか、
うんと「頷いたトカゲの惣領だったけど。

 “そんなに難しいことなのかねぇ。”

共にいるだけで心寛ぎ、なんでも阿吽という
気の置けない伴侶を捕まえるのは…と。
そんな疑問を感じての、
自分の連れ合いをついつい見遣ってしまった
それでの凝視だったのだけれども。
無論のこと、わざわざ告げ直すことも無く、
二人はそのまま ふっと姿を消して。
後に残るは、風に揺れての手を振っているような、
すっかりと寂れた屋敷の門口に咲いていた、
小さな山百合の一輪だけだった。






   〜Fine〜  12.09.05.


  *少し前の川遊びの話にちょいと似ましたかね。
   囮になったり、周囲にいた仕丁とかが逃げ去ったり。
   でもって、こういう“仕事”も
   多いのだろう術師様だと思われます。
   火遊びは勝手だが、
   その後始末を中途半端に回してくんじゃねぇと、
   イライラのイラちゃんだったお館様。
   当世では珍しくもなかった不義理に関して、
   女性の側に同情的になっても無理はないと思われます。
   もっと悪評が広まって効果を奏してから…と、
   時期を待って待って立ち上がったのかも知れません。
   無責任な女遊びも いい加減にしとかんと、
   もっとやったれ、いっそ祟ったれと、
   おっかない後押しまでしかねぬぞ、貴族の若造なお歴々。


 めーるふぉーむvv  
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